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Kenny ケニー

アメリカ・カナダ映画 (1987)

この映画の主人公であるケニー・イースタディ(Kenny Easterday)について紹介しておこう。右の写真は、胎児の時のケニー。この時点での判断は、①先天性の異常で、出産できる確率は25000分の1。②脊椎の一部が欠落し(無仙椎)、腰椎は腰に接続せず、背骨は露出している。③矮小化した脚の形成が異常で、水かきのあるカエルのような状態にある。④神経に異常がみられる場合、(a)腸が影響を受け便秘や失禁につながる可能性があり、(b)膀胱も影響を受け尿路感染症や尿失禁を引き起こす可能性があり、(3)膀胱が高圧環境だと腎臓の損傷が発生する可能性がある、という過酷な状況だった。それでも、ケニーは幸い1973年12月7日に無事誕生し、半年後に行われた「最初の切断」で、欠損している脊柱の下端部が脛骨で代替され、その時点での寿命は6ヶ月から1年と考えられた。「2段回目の切断」で、腰から下の脚が切除され、その時点での寿命は17年程度と推測された。ケニーは、手で歩くことを覚え、ある程度の制約はあるものの、ほぼ普通の生活を送ることができるまでに手を鍛えた。そして、「僕は半分に切られたたんじゃない。ただ、足がないだけだから、自分の手で歩ける(I wasn’t cut in half, I just have no legs that’s why I can walk on my hands)」と主張し、義足を使うことを頑として拒んだ〔義足と言っても、それで歩ける訳ではなく、移動は車椅子となる〕。ケニーは17歳でサラという女性と結婚し2年後に離婚した。1990年代にTVのバラエティ番組のザ・ジェリー・スプリンガー・ショーに出演していた時、ニッキーというバツイチ女性と婚約し、ニッキーに次女デジレーが生まれる。ケニーは、それがわが子だと期待していたが、8年後に、DNA検査をしたところ、デジレーは自分の子でないことが判明した。それでも、ケニーは養子にした10歳のディランと一緒に2人を可愛がった。ケニーは無仙椎に起因する感染症のため、2016年2月12日、42歳で他界した。

今回は、私の解説ではなく、かつて オークションで入手した映画公開時のパンフレットに書かれた「監督からのメッセージ」を そのまま引用する。「映画『ケニー』では、ケニー役はケニー自身が演じます〔ケニーの兄も、本人が出演〕。彼の表情や台詞の言い方は、人々をハッとさせる魅力があり、彼を囲むベテラン俳優たちは、彼の創り出す強力なリアリティに影響されていったのです。障害者が社会の一員として認められるために、彼はこの映画の出演をOKしました。私は、彼の強い意志による行動と、それに対する社会の反応、彼一人ではどうにもならない限界までも、忠実にフィルムに収めました。映画を観た人は、共通に、『ケニーをユニークな存在として外から眺めるのでなく、ケニー自身にどんどん感情移入していった』と言っています。『ありのままの自分でいたい!』とケニーが叫ぶ時、私たちは深い感動で心が揺さぶられるのです。この作品は、ケニーが社会に勇気を持って挑む、ドラマチックで熱い驚きの物語なのです」。この監督の言葉の中には、言いたいことがすべて含まれている。ただ、一言付け加えるならば、モントリオール国際映画祭でグランプリで受賞したにもかかわらず、フランスのTVクルーが登場する場面は37分は、実質89分の42%にも及び、はっきり言ってうんざりさせられる。

アメリカから輸入した正規のDVDからprint screenでコピーした映像があまりにもボケでいたので、今回、すべての映像を私が日本製のVHSをS端子でデジタル化し、TMPGEncでコントラストを上げたものを使用しました。正規のDVDの方が品質が悪いなんて最低だと思うのだが…

あらすじ

ケニーの生まれ故郷ウェスト・アリクイッパ(West Aliquippa)は、ピッツバーグの都心の約30キロ北西にあるオハイオ川沿いの工場労働者の小さな町。ケニーが、空き地の隅の廃管置き場で遊んでいると、自転車に乗った兄が 何度も「ケニー」と呼びながら探しに来る。ケニーは 「僕を家に連れ戻しに来たの?」と訊く(1枚目の写真)。兄:「何してる? 何時か知ってるのか?」。「心配しないで。帰ろうとしてたんだ」。ケニーは管から降りると、地面の上を両手で歩いて兄の前まで行く(2枚目の写真)。そして、首に掛けていたラジオを、Tシャツの襟のところから中に押し込む〔下半身がないので、ズボンのポケットがない〕。そして、自転車の前部に乗せてもらい、家に向かう、兄は 「お前の世話には もううんざりだ〔sick and tired of〕、ベビーシッターじゃないんだぞ」と文句をチラつかせる。2人は、家の数10m手前で、しつけの悪いドーベルマン2匹に吼えられる。
  
  
  

2人は、大きな工場の手前に立つ、2階建ての煉瓦の自宅の前まで行く(1枚目の写真)。この場所のグーグル・ストリートビューの2021年9月撮影の画像は2枚目の写真。1986年の撮影から33年が過ぎ、家は変わっていないが、背後にあった巨大な工場は何も残っていない〔撮影は、ケニーが本当に生まれた町で行われた〕。兄は、2階の食堂まで階段を駆け上がる。待っていた父が 「遅かったな」と言う。「あちこち探したから」。母:「どこにいたの?」。「空き地のそば」。ケニーは両手の力だけで階段を上がるので(3枚目の写真)、少し遅れて食堂に入ってくる(3枚目の写真)。母が 「ケニー」と たしなめると、ケニーは 「うん、分かってる。もう13歳になっても、家に近くにいなくちゃいけないんだろ」と半ばあきらめて謝り、母は 「もう大きいんだから、夕食の時間は守らないとね」と注意する。「おむつを替えて、不潔な手を洗ってらっしゃい」〔パンツを履けないので 代わりがおむつ。手のひらで歩くので 手は非常に汚れている〕
  
  
  
  

食事が終わると、ケニーは 「明日は学校ないから、出かけるよ」と母に言う。そして、辺りが薄暗くなる頃、ケニーは歩いてドーベルマン2匹がいる10m以上ある柵の前を通り〔犬はずっと吼え続け、バカな飼い主は止めにも出て来ない〕、姉のシャロンの彼氏で、フットボール・チームに加わりたい年上の男性の屋外ストレッチに付き合う。といっても、仲がいいので、話を聞いているだけ。「僕はでっかいから、怖いものなんかないと思ってるだろ。例えば、君の姉貴なんだが、あんなに小さいのに、時々、僕を怖がらせる。彼女、怖くないか?」。「怖いよ、残念だけど」。「怖がるのは、恥かしいことじゃない。恐れは君を慎重にし、怪我をしなくなる」。ケニーが帰宅する頃には、辺りは真っ暗になっている。途中で、公園の茂みの中にあるベンチで、兄と彼女が抱き合っているのが木の隙間から見えたので(1枚目の写真)、ケニーはニヤリとすると(2枚目の写真)、野犬か狼の遠吠えの真似をする。兄は鳴き声のした辺りに行き、ケニーが逃げて行くのを見て、「ちっぽけなクソめが!」とゴチると、またベンチに戻ってキス。兄弟は同じ部屋を使っているが、ケニーが先にベッドに横になっていると、そこに兄が入って来て、さっきの仕返しとばかりに、あちこちつついたり、枕で叩いたりする。壁がすごく薄いので、声は両親の寝室にも筒抜けなので、すぐに母が飛んできて止めさせる。兄は、「こいつ、僕とキャシーを邪魔するんだ。うらやましいから」と言い、ケニーは 「兄ちゃんと、キャシーのおっぱいなんか、どうだっていい」と反論し(3枚目の写真)、兄に背中を突かれる。暴力は良くないので、母は、兄の背中を叩き、「パパ呼んで欲しいの?」と警告する〔そのあと、「寝なさい」の言葉で、兄はすぐベッドに入るが、入浴もしないのだろうか?〕
  
  
  

翌朝、父が義足を車のトランクに入れ、そのあと、ケニーは母に追い立てられるように車に乗せられる。父は、車のキーを母に渡し、ケニーには 「どうした?」と声をかける。「別に」(1枚目の写真)。「義足を付けることに決心したんじゃなかったのか?」。「そうだけど、気が変わったんだ。理由は言いたくない」。両親は、試してみることを勧め、一部塗装がなくて錆びたままのオンボロ車で病院に向かう〔経済的に困難な状況が分かる〕。2人が向かったのは近くの大都市ピッツバーグ。病院の屋外駐車場に車を停め、母は義足を持ち、ケニーは手歩きで付いていくが、ケニーを見慣れていない人は立ち止って珍しそうに見ている。病院の中で、ケニーは上から吊るされ、体に幅広の包帯をぐるぐる巻きにされる〔義足を装着するため?〕。ケニーの表情が暗いので、担当の医師が、「さあ、ケニー、元気出せよ。ここに来てから、ニコりともしないじゃないか」と冗談ぽく言う(2枚目の写真)。ケニーは、その後、医師に何を言われても、一言も口をきかない。それを見ていた母は、一度試してダメだった時、二度目はないだろうと(ケニーが)思っていたと弁解する。それを聞いたケニーは、「約束したのに」と不満を漏らす(3枚目の写真)〔医師は、新しい脚を付ければ、中学の他の生徒と同じように見えると言うが、義足を付けても歩ける訳ではなく、車椅子に乗っての移動となる。表面の見てくれだけを優先する医師の姿勢は一方的で 倫理に悖(もと)るのではないか? ケニーは手を使えば自由に移動できるのだから〕
  
  
  

それから何日後かは分からないが、朝の7時9分、電話が鳴り出す。母は 「何てこと」と言っただけで、ベッドに寝たまま。電話に出たのは、家じゅうで一番体が不自由なケニー(1枚目の写真)。電話はパリからで、相手はフランスのTV局。両親のどちらかに代わるよう依頼される。ケニーは、母を呼びに行く。電話の相手が分かった時の母の最初一声は「Oh, shit!」〔あまり嬉しくない驚きの言葉〕。それでも、電話には出る(2枚目の写真)。母は、「ええ、分かりますが、私たちのことをどれだけ伝えられるか疑問です。これまで、日本、ドイツ、イギリスから取材も受けてますし…」と、かなり消極的。しかし、相手は、フランスの視聴者はまだ観ていないと主張する。この時点で、母は返事は後でと切る。翌朝の朝食時は、その話題でもちきり。ケニーは、祖父母の家で暮らしている姉のシャロンは出たがるに違いないと言う〔ケニーの世話が大変なので、姉は、ケニーの誕生とともに、別居させられた〕。そして、さらに、「楽しいことが一杯あるよ」と言い、スプーンをマイク代りにして、「イースターデーさん、最初にケニー君を見た時のあなたの反応は、いかがでした? すぐ好きになれましたか?」と 取材質問の真似をする(3枚目の写真)。「いい加減になさい」。「もう、好きじゃないということですか?」。この言葉に家族全員が笑う。
  
  
  

食後、ケニーが道路を横断していると、向こうの方から見慣れたスポーカーが走ってくる。それはシャロンの彼氏で、ケニーを見ると、交差点の手前で停車する。ケニーが、一歩近づいて 「今日は」と声をかけると、男性は、「悪いな、ケン、急いでるんだ。シャロンを迎えに行かなくちゃいけないのに、遅れてる」と、すぐにでもサヨナラしたがる。ケニーは、「ちょっと待って」と言い、フランスのTV局がやってくることを姉に伝えてくれるよう頼む(1枚目の写真)。そのあと、ケニーは、三角形のフレームで出来た半球状の “雲梯” もしくは ”ジャングルジム” にぶら下がって遊ぶ(2枚目の写真)。そこに、祖父母が車で通りかかり、一緒に乗って家まで戻る。やって来た祖父は、「ビリーから、TVの取材班のニュースを聞いてすぐに家を出たんだ。祖母さんを知っとるだろ。待ってられなくて、詳しい話を聞こうと一緒に付いて来たんだ」と楽しそうに話し、ケニーの父を呆れさせる(3枚目の写真)〔ケニーがスポーカーの男性(ビリー)に知らせ、ビリーが祖父母の家にいるシャロンに知らせ、そこから祖父母に伝わった〕。ケニーの母は、「明日の朝、もう一度電話があって、もし私がイエスと言えば、来週にはここに来るそうよ」と、まだ決まったわけでもないし、母本人は、気が進まないと打ち明ける。
  
  
  

しかし、その直後の映像では、母の反対にもかかわらず、取材班を乗せた飛行機がピッツバーグの国際空港(?)に着陸し、そのあと、ターミナルの出口で機材をバンに積み込む姿が映る(1枚目の写真)。その直後には、家の煉瓦壁を背景に、ケニーの両親のインタビュー。角が丸く黒い枠のある映像は、取材班のカメラ映像だという想定。取材班の質問内容は不明。母は 「それは… 何て言えばいいか分からないけど、純粋な地獄だった」と答える(2枚目の写真)。「あの子に 触れることすらできなかった。どうすればいいかも分からなかった…」。ここで、夫が、助けに入る。「家内は、肉体的に傷付けることを恐れてたんです。あの子は、すごく小さかったから… 私が風呂に入れ、おむつも替えました」。母:「主人がすべてしたんです」。取材班のチーフ:「あなたは、彼を嫌いましたか?」。「何て?」。「彼に対する否定的な気持ちはありましたか?」。「いいえ。いつも愛していましたが、触(さわ)れなかったんです」。「それが変わり始めたのは、いつからですか? そのきっかけは?」。「ある日、主人が出掛けて、家にはケニーと私しかいませんでした」。その後の長い会話を短くまとめると、ケニーが泣いたので、母が部屋に行き話しかけたら、小さな拳(こぶし)を母に向かって伸ばした。それが、「この子は私の赤ちゃんなんだ」と感じた契機だった。そうした会話を、取材班が4人で撮影している(3枚目の写真)。
  
  
  

取材班は、ケニーがスクールバスで到着するシーンを撮影しようと、家の前で待ち構えている(1枚目の写真)。バスが停車すると、バスの最後部に設けられた車椅子用のリフトの台を、母と運転手の2人でバタンと倒す(2枚目の写真)。取材班のチーフは、女性運転手に挨拶し、その後で、まだバスの中にいるケニーに声をかける。次は、バスには一度戻ってもらい、カーブを曲がってきたところをカメラに収める(3枚目の写真)。チーフは、運転手に、ケニーのリフトを降ろすのをちょっと待つように頼む。運転手は、まだ2人生徒が残っているので困ると言うが、チーフは歯牙にもかけない。
  
  
  

そして、ケニーの母を呼び、「ケニー君がリフトで降りてきたら、暖かいキスで迎えてあげてもらいたいんです」と指示する。それを聞いた母が、「そんなこと、一度もしたことないわ」と正直に言う。「分かってます。でも、フランスの視聴者に、あなたと息子さんの温かい関係が一目で分かるでしょ?」。そこで、母は、リフトが路面に着いた時、ケニーにキスする。しかし、チーフは2度目を要求する。「もっと愛情を込めて」。3度目は、「もっとゆっくりと、優しく」。ケニーには、「幸せそうに。でも、やり過ぎないように」。4度目は、「念のため。ケニー君の顔を隠さないように」。そして、キス(1枚目の写真)。これで、ようやく 「カット」。無事に済んだケニーが笑い出す(2枚目の写真)。撮影の度にリフトを上下するので、バスの運転手はイライラしながら待っていたに違いない。母はチーフを家に呼び込むと、「誤解しないでね。さっきのキス・シーンとは関係ないの。つまり、私も時々息子にキスするから。言いたいのは、前にイギリスの取材班が来た時、私たちが信心深い人間だと思わせるために教会に行ったんだけど、実は、教会に行ったのは6年ぶりだったのよ。なぜ、番組のために、そんな嘘をでっち上げるのかしら?」と、さっきの4テイクを批判する。このストレートな批判をぶつけられたチーフは、「保証します。あなたが嫌なことは、されなくて結構です」と詫びた上で、「でも、特定のイメージが必要なんです」と、無理強いが続く可能性も示唆する(3枚目の写真)。
  
  
  

そこに、シャロンが(TV出演の)期待に胸を膨らませ、ケニーを抱いて入ってくる(1枚目の写真)。その後には、祖父母も。次の撮影シーンは、いつもの一家4人にシャロンを加えた5人での夕食の場面。静かに食べ続ける5人(2枚目の写真)を見た撮影班の脚本担当は、チーフに何事か囁く〔日本語の吹替え版VHSでは、「お通夜みたいね」と書いてあるが、実際には何も聞こえない〕。それを受けて、チーフは、「少しお話ししていただけると、いいのですが」と頼む。食事が終わっても まだ明るいので、ケニーとシャロンを家の裏手の草地に連れて行くと、シャロンに 「ここでお願いしたいのは、ケニー君の両手を握って、ちょっとしたダンスをして欲しいんです」と頼む。それを、家の煉瓦壁のところで両親と見ていた兄は、「僕が学校から帰って来てからずっと、あいつら僕を無視してる。いつも一緒にいるのは僕なのに」と不満を漏らす。シャロンはダンスと言いつつ、回転しながらケニーを振り回す(3枚目の写真)〔シャロンは、ケニーとあまり会わないので、こうした行為には危険性があると思うのだが、結構 無分別なチーフだ〕
  
  
  

翌日、取材班はケニーの学校にも行く。学校でのケニーは、スクールバスの中と同じように、ずっと車椅子に乗っている。取材は、廊下、教室、食堂と続き、最後が体育の授業。ケニーは、複雑な動きはできないので、両腕で体を持ち上げるか(1枚目の写真)、胴体を着けて両手を挙げるか(2枚目の写真)の何れしかできない。準備体操の後は、ケニーを意識してか、スケボーを小さくした台車の上に全員が跪(ひざまず)いて座り、両手で前に進み、赤いコーンを1周して戻ってくるというリレー。ケニーは得意中の得意だ。コーンも見事にターンする(3枚目の写真)。
  
  
  

学校から帰ったケニーは、大嫌いなドーベルマンの飼い主とチーフが 親し気に話しているのを見て、脚本担当の女性に理由を訊く。彼女は、チーフはドーベルマンが大好きで自分でも飼っているからだと答える〔あとで、ケニーが迷惑する〕。その後、ケニーがスケボーで歩道を走っているのを撮影していると、それを見た近所の中年女性2人が、悪口を言い始める。A:「あの家族、あれで大金を儲けてるんだわ」。B:「チビのかたわの何が面白いのかしらね。こっちは、他人にウロウロされて、はた迷惑よ」。チーフは、次に この2人にインタビューする。A:「彼は、あの脚を別にすれば、他の子と同じよ。全然、気にならないわ」(2枚目の写真)。B:「この付近の人たちは、ケニーが世界中から注目を浴びてることを誇りに思ってます。私たちみんな興奮してるわ。彼、とってもいい子よ。私、毎日、お店で彼と話すの。母親のために買い物に来ますのよ。素敵な子だから、私 大好き」(3枚目の写真)。このことから、分ること。①ケニーの一家は、近所から 白い目で見られている。②悪感情を持っている人間〔B〕ほど、口から出まかせの褒め言葉で騙そうとする。
  
  
  

ケニーは、ドーベルマン好きのチーフの勝手な好みで、“いつも嫌な思いをさせられているドーベルマン” に なるべく近寄るように言われ、恐る恐るカメラに収まる(1枚目の写真)。それにしても、こんなシーンに何の意味があるのだろう? その後、うっぷん晴らしのためか、ケニーは自宅脇のフェンスのパイプにぶら下がると、体を持ち上げて切断された腹部を、金網が食い込むほどフェンスに強くぶつける運動を 何度も繰り返す(2枚目の写真)。そして、ビリーのスポーツカーが角を曲がってやってくるのを見ると、フェンスの外に体を出し、片手でフェンスをつかみながら地面まで降ろし、右手でフェンスのパイプをつかみ、左手で地面を押さえると(3枚目の写真)、一気に地面に飛び降りる。そして、仲良しのビリーに声をかける。ただ、彼はシャロンが出てくると、すぐにデートに出かけてしまう。
  
  
  

次は、ピッツバーグの病院での取材。カメラは、ケニーが義足の上のボックスに上半身を入れて〔“義足を着けて” ではない〕、両手でパイプをつかんで前に進もうとするが、こんなちゃちな用具では基本的に無理な動作で、こんなことをさせる医師の資質と良心が疑われる。ケニーは、何とか方向を変え(1枚目の写真)、今度は、カメラに向かって進み始めたところで、カット。ケニーの表情が暗いままなので、チーフが、「どうしたんだい? 新しい脚は嫌い? どうして、そんなに悲しい顔をしてるか分からないな」と訊く。「分んない?」。「分からないな。もっと喜ぶべきだと思うんだけど」。ケニーは、医師を批判する。「どうやって喜べるんです先生? こんな死んだ棒にくくりつけられて」。無能な医師は、それに対し、「障害者」という言葉を使って、こうした物にもっと前から馴染むべきだったと言うが、ケニーは 「障害者! 何が言いたいの? 誰かが僕にしてもらいたいと思ったことなら、何でもできる」と言いながら、義足の上の容器と体を固定しているベルトを外し、両手で金属棒をつかむ。そして、体を容器から出し(2枚目の写真)、そのまま一気に下まで飛び降りる(3枚目の写真)。最後の言葉は、「もし、僕が障害者だと言うんなら、この呪われた脚のせいだ」。ケニーは、義足一式を手で押し倒すと、さっさと部屋から出て行く。
  
  
  

ケニーがいなくなった後、取材班は、医師にインタビューする(1枚目の写真)。「ケニーが生まれた時、彼の脚は全く発達しておらず、使い物になりませんでした。彼は、胸と下半身の間の脊椎にすき間ができる遺伝性疾患の無仙椎にも苦しんでいました。ケニーが生後6ヶ月の時、我々は彼の脚の残部を除去しました。そして、その脛骨を、肺、胸郭、骨盤に付けました。これにより、彼は起き上がることができ、それまで露出していた肝臓と腎臓が防護されました」。チーフは、ケニーが嫌っていた特殊な義足について、「ケニーは常時あの脚を装着するのですか? そして、普通に歩けるのですか?」と質問する。「両方とも、ノーと言わねばなりません。第一に、ケニーがあれだけ重いものを常に身に付けていることは体力的に無理でしょう。第二に、あの脚の目的はケニーを普通に歩かせることにあるのではなく、目立たなくすることだけにあると認めねばなりません。現実的には、ケニーにとって最善なのは、車椅子に座っている時に義足を付けていることです」。ケニは、両手で自由に歩くことができ、車椅子に座りっぱなしでいるよりは余程健康的なのに、この医師にとっては “見てくれ” が一番大事らしい。ケニーは、町に戻って来て解放されると、ビリーと一緒にシャロンの取材現場に行き(ビリーが体を鍛えている場所のそば)、不満をぶつける。ビリーは、「そんなに落ち込まないで。彼らは、君のためにやってるんだ。経験積んでるし」と、一般論をぶつけるが(2枚目の写真)、ケニーは、「車椅子で立ち往生したり、2本の長い脚でバランスを取るなんて嫌だ。僕は、何も隠したくない。この姿で平気なんだ」と反論する(3枚目の写真)。「そりゃそうだ」。
  
  
  

シャロンは単独インタビューの中で、「あなたが、最初に弟さんを見た時の反応は?」と訊かれる。次の場面では、シャロンとケニーが、ビリーのスポーツカーに乗って家に送ってもらう。車の中で、シャロンは、TVに出演出来できたので ご機嫌。車が家の前に停車した時、ケニーは、「それで、何て答えたの?」と訊く。「他に答えようがないから、みんと同じように素敵な弟だって言ったわ」〔映画の最後の発言とは全く異なる〕。そのあと、シャロンは、真剣な顔になり、「みんなが同じ部屋に集まった時に話さないと」と、特に、始終訪れる祖父母を念頭に言い出す。ケニーが、「何の話?」と訊くが(1枚目の写真)、予め相談を受けたビリーは、「ちょっと待て、ケニー、とても大事なことなんだ」と質問は棚上げにし、シャロンに、「ホントに今すぐしないとダメなのか? すごく大きな決断なんだから、急ぐ必要はないだろ」と再考を促す。しかし、シャロンは決心を曲げず、しかも、ケニーの質問には答えず、話しに行っている間、車の中で待っているよう指示する。姉がいなくなると、すぐケニーはビリーに尋ねるが、「秘密だから言えない」と断られる。そのあと、ケニーがスケボーに乗って、彼女と話している兄の所まで行き、「エディー〔兄〕、こっちへ」と呼ぶシーンがある。この時には、姉の話が終わり、ケニーにも内容が伝わっていて、知らないのは兄だけになっていた。兄が しぶしぶケニーの前まで行くと、ケニーは、「シャロンはお祖父ちゃんの家には戻らない。僕らと一緒に暮らすんだ」と打ち明ける(2枚目の写真)。兄は、最初冗談かと思うが、本当だと言われると、それ以上興味を示さず、ガールフレンドのところに戻る。夕方になり、姉とケニーが居間でTVを見ていると、そこに兄が帰って来る。そして、姉に 「ここで暮らすって?」と訊く。なぜか姉とケニーは嬉しそうに笑い(3枚目の写真)、「そうよ」と答える。「フランスの取材班に、なぜ2人のクールな弟たちと一緒じゃないんだと訊かれて、説明に閉口したから」。
  
  
  

翌日の取材も、チーフの勝手な発想でケニーを困らせる。ケニーは、脚がないので上手く泳げないのに、プールに連れて行き、兄に脇を支えさせ 無理矢理泳がせる(1枚目の写真)。ケニーが飲み込んだ水を咳いて苦しんでいても、「あと2秒だけ」と言って、そのまま続けさせる。虐待以外の何物でもない〔フランス人て、こんなにひどいの?〕。見かねた姉は、プールに入って行き、「エディ、何てことするの」と叱ると、ケニーを抱いてプールサイドまで連れて行き、背中を優しく叩く(2枚目の写真、矢印)。そのあと、ケニーは、プールから離れた場所に、タオルにくるまって横になって体を休める。そして、撮影班の様子を見ていると、今度は、プールの監視員にインタビューを始める。撮影班に悪役だけやらされ、その後は無視された兄は、ケニーの所にやってくると、「なんで、いつもいないような奴〔監視員〕にインタビューするんかな」と不満を漏らす。ケニーは、「あの取材班、いつも変なことばかりさせるんだ」と、昨日のドーベルマと義足に続くチーフのやり方に不信感を顕わにする。兄も、「僕もうんざりして、鼻に付く」と言い、さらに、姉がプールサイドで取材班の1人の若い男と仲良く話しているのを指して、「ビリーが、ここにいたらな」と言う〔あとで、取材班の職業倫理に抵触する破廉恥行為に発展していく〕。兄は、ケニーに 「ウチに帰ろ」と呼びかけ 一旦柵の外に出るが、復讐してやろうと思い立ち、話し合っている監督と監視員のすぐ横に飛び込み、2人に水を浴びせかける。それを見て、ケニーは笑い出す。
  
  

場面は、急に橋の上に変わり、シャロンが取材班の男と 如何にも親し気に話している。それをケニーが心配そうに見ている(1枚目の写真)。この時は、迎えにきたビリーの車に乗ったのは、ケニーとチーフだけで、姉は “恋人” と話すのに忙しくて、ケニーが 「シャロン、帰らない?」の言っても、「あとで」と言っただけ。次の場面では、辺りが暗くなり、取材班のバンが出ようとしている。シャロンとフランス男は、それまでずっと話していたらしい。男が、「ずっと空いてるよ」とシャロンに話していると、そこにまたビリーの車がやって来る。それを見た男の言葉は、フランス語で「Merde(くそ)!」。今度は、筋肉隆々のビリーが車から降りて来たので、一緒に帰らざるをえない。シャロンは、大きな声で、「明日また」と言いつつ、ビリーに聞こえないように、何ごとか囁く。シャロンが去ると、取材班の女性スタッフと、もう1人の男性スタッフが男を慰める。前にも書いたが、この取材班は、チーフは独善的だし、残りの連中は取材対象の家族の一員との “明日は帰国してバイバイの無責任なラヴ” を煽っているように見える。彼らには倫理観がないのだろうか〔取材のシーンも長過ぎるし、観ていて腹が立つ〕? 一方のシャロン、迎えに来たこと自体を罵り、その夜ビリーとどこかにでかけるのも拒否し、家に連れて行くよう要求する。さらに、同乗していたケニーのことを、「sneak(告げ口屋)」「little shit(くそがき)」とこき下ろす〔これが姉の本性〕。家に戻ったケニーが母と一緒にいると、派手な服に着替えたシャロンは、居間の電話を取り、フランス男のホテルの部屋に電話する。そして、今からレストランで会いましょうという “甘ったるい” 誘いの言葉を、両親がすぐ横にいるのに、平気で話す(2枚目の写真)。部屋を出て行こうとするシャロンに、父は 派手な服の着替えを要求し、母は遅くなるなと注意するが、両方とも無視される。そして、彼女が帰宅したのは、翌朝。それに対し、母は極めて厳しい言葉で責めるが、馬耳東風。結局、これが、その後の転居に結びつく。
  
  

最終日の撮影は、墓参(1枚目の写真)。何のためのシーンか、全く理解できない。ケニーの墓参に何の必然性があるのか? 実に冴えないチーフだ。チーフは、撮影が順調に進んだので、「エディとのインタビューの時間ができた」と言う。エディは、本当の “付けたり” だ。ケニーの面倒を一人でみてきた人物へのインタビューが “付けたり” とは、この行為からも、チーフの無能ぶりは明らかだ。兄は、ケニーがそばにいるのを拒む。そして、インタビューが始まる。チーフ:「エディ、脚のない弟がいるって、どんな気持ちかな?」。兄:「脚のある弟がいないので、分からない」。「一緒に走ったり、フットボールできないことで、イライラしないかな?」。「ううん」。「ケニーと遊ぶのに、かなりの時間を割いてる?」。「うん」。「君とお姉さんとの関係は?」。「弟よりは親しいよ」。「どうしてかな?」。「弟は、他の人を利用し過ぎるから」。「どういう風に? いっぱい要求する?」。「うん」。「誰も注意しないのかな?」。「しない」。「君は、何も言わないの?」。「言うけど、聞かない」(2枚目の写真)。ここで、カット。その声を聞き、ケニーが駆けてきて、「何て言ったの?」と訊く。兄は 「関係ない」と言い、ケニーは 「関係あるさ。隠れて悪口言ったに決まってる」とズバリ正解。チーフ:「ケニー、落ち着いて。彼は、とてもいいことを言ったよ。実際、愛してると言ったんだ」〔嘘〕。「ホント?」。兄:「何を言ったか覚えてない。カメラが回ってて、緊張したから、知らないんだ」。チーフ:「知ってるかい? 君たち2人は 本当に素晴らしい兄弟だ」(3枚目の写真)〔チーフが口にした唯一まともな言葉〕。そして、取材班は、家の前で最後の別れを告げる(4枚目の写真)〔ケニーと握手しているのはチーフ。右端ではシャロンとフランス男がひそひそ話〕
  
  
  
  

取材班が去ると、シャロンはすぐに荷物を持って現れ〔2日前に祖父母の家から引っ越してきたばかりなので、荷物はすぐにまとめられる〕、「自分のが見つかるまでの間、ピッツバーグのジャネットのアパートに住むことにした」と言い出す。そして、その理由として、「ここじゃダメなの。家族がバラバラになるわ」と説明する〔確かに、彼女は、ケニーが生まれてからずっと、祖父母の家で暮らしてきた〕。誰も一言も発せず、お邪魔虫のシャロンはそのまま家を出て行く。シャロンに対し、「弟よりは親しいよ」と言っていたエディは、しばらくすると席を立って後を追う。「2日前に、一緒に暮らしたいと言ったのに、出てくなんて」。「さっきの話、聞いてなかったの? うまくいかないのよ。ママだって、あんたとケニーの世話しか したことないわ」(1枚目の写真)「私は、これまでずっと一人で気ままに生きて来た。家から離れて暮らすのに慣れてたの」。シャロンに戻る意思がないと分かったエディは、荷物を持って、“シャロンを迎えに来た車” まで送る。シャロンが乗った車が出た後、少し遅れて追いかけて来たケニーと兄が木陰で話し合う。「連れ戻せないの?」。「いいや」。「寂しいよ」。「僕には何もできなかったし、お前にも、誰にも何もできない」(2枚目の写真)。その日の夜、父は散歩に出かけ、居間にいるのはケニーと母だけになる。ケニーは、「シャロンは戻って来ると思う?」と訊く。「いいえ、戻らないわ」。「連れ戻せないの?」。「いいえ。あの子とは、ずっと前に終わってたの… 私たちがそれに向き合いたくなかっただけ」。「悲しくないの?」。「もちろん悲しいわ。パパだって。でも、もう一緒には暮らせないの」。「どうして?」(3枚目の写真)。「説明できないわ。いつの日か、あなたにも分るでしょう」。
  
  
  

ケニーの母を、近所の暴力亭主の妻が、慰めてもらいに訪れ、ケニーは、その妻の気を鎮めるためにタバコを買いに行かされる(1枚目の写真)。その時、父と兄は、道路でキャッチボールをしている。ケニーが、ドーベルマンのキチガイ親爺のフェンスの前を通ると、犬はいないが、フェンスの扉が開いているのに気付く。そしてタバコを買っての帰り道、今度は犬がいて、しかも扉が開いているので、1匹のドーベルマンが、飼い主の制止を聞かずにケニーを追いかけ始める(2枚目の写真、矢印はドーベルマン)。ケニーは、とっさに、木の柵の中に逃げ込むが、犬はケニーに向かって激しく吠え、ケニーは悲鳴を上げる。それを聞き付けた父は、手に持っていたバットで犬を殴り殺す。そして、ケニーを隠れていた場所から出して、「大丈夫か? 噛まれなかったか?」と訊き、「ううん」の返事にケニーを抱き締める(3枚目の写真)。飼い主は、自分の方が悪いのに、犬を殺されたことで父を罵ったので、頭に来た父は、バッドで柵を思い切り殴り、割れたバッドがドーベルマンの死骸の上にまで飛ぶ。父は、このことから、ここに住み続けることに疑問を持つ。
  
  
  

家に戻ったケニーが、母とトランプでゲームをしていると(1枚目の写真)、そこに、大きな紙袋を持った父が帰ってくる。紙袋の中身は大量の本。それを見た妻は、ゲームを止め、「何するつもり?」と訊く。「俺は、遂に決心したんだ。お前はどうか知らないが、俺は、近所の連中には もう耐えられん。この町では、起きるべきでないこと以外、何も起きん。だから、ここから出て行くんだ」。妻は、「その本は、助けになるの?」と訊く。「床掃除以外に お前が何かしたいのなら、ちょっとは勉強しないとな」(2枚目の写真)〔主語が「you」なっているので、これは妻に投げかけた言葉。ところで、この一家は、どうやって生計を立てているのだろう? 特に夫の職業は謎に包まれている〕。翌朝、ケニーはシャロンに見捨てられたビリーの家に行き、10時過ぎまで寝ているビリーをドアベルで叩き起こす(3枚目の写真)。そして、1週間もトレーニングをさぼっていることを指摘。それを受けて、ビリーは、基礎トレーニングのあと、ケニーが持つアメフト用のボールの位置に応じて体を動かす練習をする〔何のために挿入されたのか分からないシーン〕
  
  
  

その夜、姉のことが気になるケニーは、帽子を被り、リュックを背負うと、ベッドの後部から床に降り、ドアをそっと開けて部屋から出て行く。次のシーンでは、スケボーに乗ったケニーが、まだ暗い中、歩道の上をかなりの速さで走らせている(1枚目の写真)。そして、長さ300メールほどの高台にある コンスティテューション通りまで登る “ブリッジ・ストリート” という鉄道高架橋を渡り終え(2枚目の写真)、ピッツバーグに向かうコンスティテューション通りで、ヒッチハイクをする(3枚目の写真)。幸い、親切な大型トラックが停まってくれた〔運転手は、ケニーを知っていた〕。トラックの中で、ケニーの話を聞いた運転手は、「お前さん、実に大したもんだな〔really something else〕」と大笑いする。ケニーは、「いいことじゃないかもしれないけど、思い切ってやってみたんだ」と言う。
  
  
  

トラックはオハイオ川の左岸を遡ってピッツバーグまで行くと、そこでモノンガヒラ川とアレゲニー川の合流地点に達する〔オハイオ川の最上流部〕。道路は左岸を走っているので、モノンガヒラ川に架かるフォート・ピット橋を渡り、ピッツバーグの都心へと向かう(1枚目の写真、矢印)。映画には映っていないが、この先、トラックは、都心を通り越し、アレゲニー川のフォート・ドゥケイン橋を渡ってノース・ショア(北岸)地区に行き、親切にも、ジャネットのアパートの前でケニーを降ろしてくれる。そして、「気を付けて行けよ」と握手(2枚目の写真)。トラックが去ると、道路の反対側にアパートの入口が見える。ケニーは3階以上にある部屋まで難なく階段を上り、ドアをノックする。ドアを開けたのは、姉ではなく、ジャネットだった。ケニーが、「シャロンは?」と訊くと、「Ritzy's〔ハンバーガーやアイスクリームの店〕で6時から10時まで働いてるわ」と答えた後で、「ケニーどうしたの? あなたがいなくなたって、ビリーから動転した電話があったわ。みんながあなたを探してるそうよ」と心配する。「大丈夫。キャシーのパパ〔トラックの運転手〕が電話したから」。ジャネットから、シャロンが帰るのは10時半頃で、彼女自身は仕事があるからアパートを出て行くと言われたケニーは、「その辺を散歩してるから」と答える(3枚目写真)。
  
  
  

ケニーは、「その辺を散歩」するのではなく、Ritzy'sに行って姉に会おうと、アレゲニー川を渡って都心に向かう。この時ケニーが渡るのは三姉妹橋の中のロベルト・クレモント橋(1枚目の写真)〔三姉妹橋は、東京の清洲橋と同じ1928年に架けられた “20世紀になぜか復活したチェーン吊橋” の珍しい現存例〕。三姉妹橋は、本当に密接して並んでいるので、私の撮影した写真を2枚目に示す。そのあと、唯一映るピッツバーグの繁華街での滑走シーンは、PPGインダストリーズの特徴ある建物群の最も外れにある広場(3枚目の写真)〔現在は、芝生に木が密生し、建物はほとんど見えない〕。4枚目の写真は、私が撮影したPPGインダストリーズの中心にあるPPGプラザ。建物の様子がよく分かる。ケニーは、広場の突き当りにあるRitzy'sに向かう〔現在は、別のデザインの店が入っている〕。店に入って行ったケニーは、カウンターの前に行き、シャロンに向かって、「お早う」と声をかける(5枚目の写真)。びっくりしたシャロンは、他の店員とぶつかって店主に叱られる。ケニーは、店主に 「あの、済みません。あの女(ひと)の責任じゃないんです。僕を見ると、びっくりする人がいるから」と言い、姉を第三者のように扱って、姉の失敗を庇う。
  
  
  
  
  

ジャネットのアパートに戻ったシャロンとケニーの重要な会話(判別しやすくするため、ここだけ、若干色を変えた)。シャロン:「一体どうしたっての? みんなが捜してる。警察までもね。なんでいつもトラブルばかり起こして、人目を引きたがるの? 他のみんなのようになれないの?」。ケニー:「そうしたいけど、みんながそうさせないんだ」。「もちろん、そうよね。あんたがこんなバカを続けるなら、誰があんたを信用する?」。「こんなことをしたの、初めてだよ。どうしても話したかったから」。「何を?」。「僕たち、姉さんが家に帰らないって知ってる」。「その通り。そのことで、私に罪の意識を感じさせないで。あんたはね、これまでずっと、“私が いい姉でなかった” という、やましい思いをさせてきたのよ」。「そんなこと した覚えないよ。姉さんを責めるんじゃなく、もっとよく知りたいんだ。家に帰ってから、あんなにすぐ、出てった理由を知りたいんだ。12年前に、なぜ家を出てったのかも。それは、僕に脚がないから? どうしても知りたいんだ」。「私はたった5歳だった。私は一緒に遊べる可愛い赤ちゃんが欲しかったのに、何が手に入った? あんたよ! あんたを見て、泣いたり叫んだりなんかしなかった。ショックが大きかったから。なぜ、私の弟は、他の赤ちゃんと違うの? ママとパパは、あんたの世話にかかりきりだったから、私は放っておかれた。当然、私は、あんたを憎み始めた。あんまり憎んだから、自分が怖くなった。“こんな悪い女の子だなんて、私、どうかしてるんじゃないか” と思った。だから、自分自身を憎み、それがどんどんひどくなった。私にだって、幸せになる権利、自分を好きになる権利があるのよ。あんたが、それをずっと邪魔してきたの。もうたくさん! あんたのせいで、ママの愛を失った。そして、もう取り戻せない。永久に。さぞや満足よね! あんたなんか、二度と見たくない。私の家から出てって! 私の人生から出って!」(1・2枚目の写真)〔ケニーの兄エディは、本当の兄が演じている。しかし、シャロンは俳優が演じている。それは、彼女が、これほどケニーを嫌っていたからだろうか?〕。ケニーは、シャロンの最後の言葉を受けて、すぐに部屋を出て行く(3枚目の写真)。
  
  
  

ケニーが出て行ってから、ずっと泣き続けていた姉は、しばらくして自分の言ったことに後悔し、窓を開けて「ケニー!!」と叫ぶ。それまでに、ずっと遠くまで歩いていったケニーには(1枚目の写真、矢印)、その声は聞こえない。姉はアパートを出て、ケニーの後を追う。ケニーは、アレゲニー川の遊歩道に向かって歩いて行く。シャロンの声が聞こえるようになったケニーは、歩く速度を早める。シャロンが、木で出来た川沿いの遊歩道に降りて行った時、そこにもケニーの姿がないので、彼が川に飛び込んで自殺を図ったと思ったシャロンは、「そんなつもりじゃなかったの! ごめんなさい!」と言いながら(2枚目の写真、矢印はゴミ箱の後ろに隠れているケニー)、川に飛び込む。ケニーは、「シャロン! 僕は、ここだよ!」と叫び、それに気付いたシャロンは、「ケニー、ごめんなさい」と何度も言いながら、デッキに這い上がる。そして、ケニーを抱きしめる(3枚目の写真)〔しかし、どれだけ謝っても、さっきの言葉が本音であることに変わりはないので、ケニーの顔は冴えない/どうして、これを本編のラストシーンにしたのだろう。後味は決して良くない〕
  
  
  

エンドクレジットの背景映像は、なぜか、アメリカ版DVDと日本版VHSでは違っている。後者では、ケニーの一家が引っ越したことがよく分からない。そこで、解像度は落ちるが、アメリカ版DVDの映像を横長にカットしたのが1枚目の写真。一家が移り住んだ新しい町の中古住宅への引っ越しの場面だ〔白い家の前に停まっているのは、引っ越し屋のトラック〕。2枚目の写真は、日本版VHSのみの映像〔赤い服の女性は誰だろう?〕。エンドクレジットの最後の映像は、スケボーに乗ったまま両手を広げるケニー(3枚目の写真)〔どうやってバランスをとっているのだろう?〕
  
  
  

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